2026.03.08|会長ブログ,日々のこと

老いの青春を味わう😁👜

 

こんにちは! 本多建設の本多和彦です。

さて、2月の16、17日、先月のブログで書いた「学生時代の仲間との旅行」のお話をします。

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16日、新幹線で東京へ行き、そこから東海道新幹線ひかりに乗って、熱海に着いたのは12時45分でした。13時に熱海駅が集合場所となっており、総勢6人が今回の参加者でした。

私は2年連続参加できず、その前の2年間はコロナで開催されなかったので、5年ぶりの参加となり、それぞれ同い年でもあるから、お互いどれほど老人っぽくなったのかと興味をもって会うことに楽しみにしていました。

熱海の駅で全員に会ったときにちょっと驚いたのは、5年前とみんなの姿格好がほとんど変わっていないことにびっくりしました。本音では、俺のほうが若いつもりでいたのですが、えっなんでみんな変わってないんだろうと不思議に思ったもんです。今になってもこの謎は解けないままですが。

しかも、東京在住のひとりが熱海まで自家用車の7人乗りのワンボックスカーを運転してきて、この旅行中の運転も引き受けてくれたのにはさらに驚きました。俺にはとってもできないのに、なんであいつが出来るんだろうと、彼の若さに嫉妬を覚えるほどでした。まだまだ俺たちの年代は若いのだとかえって勇気をもらったしだいです。

旅の始まりは、熱海の梅園に行き、梅もほぼ満開からちょっと経ったくらいですが、見頃でもありました。そこからホテルに直行し、場所は西伊豆の「土肥マリンホテル」でした。そこは多分バブルの時に建てられたホテルのようで主に団体客を相手にした造りで、ブームが去って、いつからかは知りませんが、今は大江戸温泉物語のホテルになっていました。ですから、きわめて宿泊費がリーズナブルで静岡在住でこの旅の企画をした、我々の仲間が予算にかなり気を使ってくれたようでした。

夕食はバイキングの飲み放題120分で、すべてホテル代にコミコミという嬉しいシステムでもありました。ただ残念なことは、部屋が12畳の和室が一部屋で、そこに全員が寝ることとなり、それぞれが布団を敷けば、畳の部分はなくなり身動きも取れない状態で、夜中、必ずトイレに一度は行く私にとっては、場所を選ぶのに相当考えざるを得ませんでした。

できれば入り口近くを取りたいのですが、夜中のトイレは私だけではなく、彼らもまたそういった年齢でもありますから各人がトイレに行くたびに、その都度起こされてしまうし、かといって、奥の場所を選べば何人もの頭を踏まずに、出入り口に辿り着かねばならず…と悩んでいる内に、それぞれが同じ考えで行動を起こし、後れを取った私はつまるところ、一番奥の場所となり睡眠不足を覚悟した次第でした。

静岡の担当者に、「おまえ、なんでみんな一緒の部屋にしたんだ?少なくても3人で一部屋なら分かるけど、これじゃワンゲル時代の合宿と同じじゃねーかよ!」と訴えたところ、彼がいうには、「最初はそうも考えたんだけど、それじゃみんなが寂しいと思ってよ」。昔から彼は気遣いを人一倍するタイプで、根っから優しい人柄なので、もうそれ以上は何も言えませんでした。

さらに、夕食が終わって部屋に戻り、持ち込んだビールや焼酎、ウイスキーなどの二次会が始まり、それが延々と11時半まで続き、私はそうは飲めないので、ウーロン茶などちびちび飲んで早くこの宴会が終わらないものかと、ますます飲み続ける彼らの横で、本当にこいつらはすごいと改めて感心しました。

お開きとなり、みんな酔っぱらって、すぐにぐっすり寝込み、あっちこっちでいびきがなって、途中からウーロン茶を飲んでいた私は、すでに眠気は遠のき、一晩中眠れぬまま朝を迎えました。

翌日も朝の5時には全員目覚め、風呂に行く者、軽い体操をする者、薬を飲む者や運転手をしていた彼は痛み止めの膏薬を腰に貼っていたりで、それぞれが毎日のルーティンをこなし、9時にはホテルを出発しました。

次の行く先は静岡市にある久能山東照宮、日本平のロープウェイに乗っての見学で、ここでも東照宮までのきつくて長い石段をやっとの思いで登り、息も絶え絶えになってしまいましたが、わが仲間たちを見渡せば、私以外にもう一人、やっとの思いで登ったやつがいました。他はそう辛い様子もなく平然として登っていましたから、やっぱり彼らは他の同世代の人たちより体力的に若いのかもしれないなと、兜を脱ぎました。

16時の静岡発新幹線ひかりに乗り、東京へ向かいひとり帰路に着きました。乗った瞬間、東京までの時間は爆睡してしまい、あっという間に東京へ着き、山形新幹線でもほぼ半分は寝ていました。

毎年行われるわれらワンゲルの集まりは、来年は仙台と決まり、仙台に住む仲間がホストとして迎えることになりました。先月78歳の誕生日を迎えた私は、老いの深みをさらに味わうことになるのかと憂えていましたが、彼らとの再開でまだまだ年寄りになってはいけないなと反省しました。57年前は20歳でした。そのころに彼らと青春をともにした体験が蘇って、さてさて、もう少し老いの青春というものを深く味わってみようかと教えられた貴重な旅でした。

 

ペン
この記事を書いたのは私です。
本多和彦会長